あの日から僕は3.11東日本大震災


あれから11年。

当時の自分を振り返ってみた。

2011年3月。

高橋朋樹という人間は、何事も当たって砕けるタイプだったが同時になんでも無理だと諦めていた。

「夢?そんなもんない。」

一言で言えば不真面目でカッコ悪いやつ。

そんな僕だった。

 

当時高校3年生になる直前だった僕は、修学旅行を楽しみにしていた。

おちゃらけていた僕の頭の中はもう修学旅行でいっぱいだったのだ。

 

当時マンションに住んでいてバスケ部に所属していた僕は、いつものように着替えを済ませ学校へ向かう準備をしている最中であった。

 

それは突然起きた。

マンションが大きく揺れ出したのだ。

窓ガラスが割れるんじゃないかと思うほどたわんでいる。

初めての感覚だった。

 

危険だと感じて慌てて家を飛び出した僕は、駐車場に止まっている車が揺れているの見てびっくりした。

なんだ、とんでもない地震だ。

それでも僕にはまだ危機感がない。

そんな状況の中、僕は学校に行った。

当然、部活動は中止。当たり前だが家に戻ることに。

この危機感のない状況が続いたのは、自宅に着くまでであった。

 

そして家に着いた僕は、テレビをつけた。

地震速報が気になったのだ。

「やっぱりどこも地震のことばかりだ。なんだ。」

なんて言っていた矢先に、速報で津波の映像が流れた。

それは気仙沼の映像だった。

その映像に思わず驚いてしまった。

東北にはすごい津波がきてしまったんだ。

しかし高校生の僕はことの重大さも、まだ何もわかってなかったのだ。

被災地の映像が流れ続ける中、僕はただテレビを見るだけだった。

 

しばらくテレビを見ていたら、また速報が流れた。

それを見た僕は唖然としてしまったのだ。

見たことのある景色が、津波に飲まれていく様子がそこには映されていた。

そこは岩手県釜石市。

父の故郷であった。

僕が小さい頃、夏休みになると良く楽しんでいたあの景色が津波に・・・。

みるみる街が津波に飲み込まれていく。

その様子を見て不安と焦りがどこから湧き上がってきた。

おじいちゃんとおばあちゃんは!?

そう、その街に祖父母が住んでいるのだ。

そこから一気に恐怖に変わった。

初めて大切な人がいなくなる恐怖とそして家族という存在がどれだけ大切なものなのか知った。

携帯電話を手にとり電話をかけてみる。

あたりまえだが、繋がらない。

その時大規模な停電が起きていたのだ。

ニュースでも見て知っていたのに、わかっていたのに、何度もかけてしまった。

翌日も恐怖が僕の心を襲っていた。

あの映像は今でも見るだけで、とても悲しい思いが込み上げてくる。

僕は今でも忘れない。

 

1週間後ようやく手紙が届いた。

祖父母からの手紙だ。

無事だった。

 

心が落ち着いたのだ。

しかし、自分の無力さを痛感した。

今の自分には何かできるのだろうか?

何か行動したのか?してない。

そんな自分でいいのだろうか?深く考え込んだ。

あの時のこの思いがなければきっと今の仕事をしていないだろう。

 

当時、震災で多くの方が悲しみに包まれた中

僕は遠くで見ていただけだった。

 

誰の力にもなれていないんだ。

ひどく自分を無力で弱いものだと感じた。

(のちに弱いものというのを勘違いだと気付く。)

無性に悔しかった。

何もできなかった自分を悔やんだ。

変えてやる。

そう思った僕は、絶対やってみせるという思いでこの職業を選んだ。

柔道整復師だ。

誰かのために、それがきっと他の誰かのためになる。

家族が元気になれば、周りの家族も元気になる。

仲間が元気になれば、周りの仲間も元気になる。

そう思ったのだ。

 

“今の僕がやるべきことは何なのか”をよく考えてみた。

それは今来ている患者さんを治すことだ。

それを積み重ねて。

そうしていつか、目標の復興支援、災害救助へ。

それを実現できるような舞台へ。

多くの幸せ、笑顔を守れるような人になりたい。

団体を作りたい。

僕は高校生からの夢を実現させる。

この11年間変わることのない夢。

目指せ10年後の未来へ。

 

そして最後に一言だけ伝えます。

未来に希望を持てていなかった過去の僕が未来の僕に約束した夢を果たすために。

僕は走り続けます。

津波で止まった時計

船

※最後に津波で止まった時計の写真と港に乗り上がった船の絵を載せます。

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